『表徴の帝国』
ロラン バルト (著), 宗 左近 (翻訳)
何度も読み返している、かなり好きな本。
日本の文化を独特な切り口で紹介しているけれど、よくある「外国人から見たニッポン」みたいな通俗的なものではなく、逆に「日本人の本質はこれだ」のような居丈高でもないです。
日本をベースにした空想上の国、あるいは日本文化という表徴を通じて、ロマンを描いている、文学作品のような作品です。
「はっきりとその国を空想上のしろものとして扱い、実在のどんな国だろうとわたしの夢物語にまきこまずにすむようにする」「幾つかの特徴線を抜きとって、この特徴線で一つの世界をはっきりと形成する」「日本、とわたしが勝手に名づけるのは、そういう世界である」
この発想がもう面白い。この本における日本とは観念なのです。
その前提に立って、現実の日本がどうかみたいなことはさておき、日本的な慣習や所作から発展するロラン・バルトのユニークなロマンを楽しむことができます。
例えば、「箸」。
これについて、西洋のナイフ・フォークは明確な役割を持った武器のようなものであるのに対し、
「箸は、食べものを皿から口へと運ぶ以外に、おびただしい機能を持っていて、そのおびただしさこそが、箸本来の機能なのである」
「箸は、食べものを指し、(中略)、食事という日常性の中に、秩序ではなく、いわば気まぐれと怠惰とをもちこむ」
「箸のもう一つの機能、それは食べものの断片をつまむことである。(中略)、それというのも、食べものを持ちあげたり、運んだりするのにちょうど必要以上の圧迫が、箸によって与えられることはない」
「食べものを調理するために使われる料理人の長い箸に、そのことは、よく見てとれる。この長い箸は、決して突き刺さない、分断しない、二つに割らない、傷つけない。」
「箸は食べものを少しずつほぐす、または、食べものをくずす(この点で、箸はナイフよりも、遥かに自然のままの指に近い)」
「箸は、食べものを運ぶ。」
「こういう箸の使いかたのあらゆる点で、箸は西洋のナイフに対立する。箸は、切断し、ぐいと掴まえて手足をバラバラにして突き刺すという動作を拒否する食器具である。箸という存在があるために、食べものは人々が暴行を加える餌食ではなくなって、みごとな調和をもって変換された物質となる」
こういうファンタジー。
日本について知ることが目的ではなく、異文化あるいは事象の比較から、自分の精神性を広げる何かを抜き出す行為というか。
この本を読んでから
1. 私はAから〇〇を読み取り、学を得た
2. けれど、Aが〇〇であると決めつけることはしない
という二つをきちんと分け、自分の得た〇〇をAに押し付けることのないように気をつけるとともに、1.についてはより大胆に解釈を広げられるようになりました。「空想上のしろもの」メソッドはとても便利です。
それはそれとして、(空想上の)日本に対してのこの本のロマンはとても面白く、日本で暮らす日常がちょっと変わって見えるのも楽しいです。