『数学の想像力: 正しさの深層に何があるのか』
加藤 文元
数学において「正しい」と認めることとは何かというのは、大学の頃とても悩んだ問題であったので色々思うところがありつつ。
思い返せば高校時代、数学世界とでもいうべき、真で理想的で綺麗な世界が見えるような気がしていた。そういう存在があるということを体感していたし、数学を考えれば考えるほどその世界に触れることができた。
とても楽しかった。
数学世界をどれだけ見、どこまで味わうことができるかというのが、ある種青春の目標みたいにもなっていた。
大学に入って、同級生からヒルベルトの机と椅子とビールジョッキの話を聞く。「そんなわけはない!」と憤る。
同じ頃ゲーデルの「不完全性定理」を知る。正確には今でも理解できていないんだけれど、とりあえず概要だけ知る。
どちらも、リアリティーを持って感じていた数学世界の存在を否定する感じのステートメントで、混乱する。
戸惑いながらも、何週間か何ヶ月か考えて、次第にどちらのステートメントも正しそうだと腑に落ちてくる。もっと数学の才能を持った人はヒルベルトの言うことができて、不完全性定理も理解できるんだろうな、などと考える。
それでヒルベルトの机とゲーデルの不完全性定理に敗北を認めて、それ以来、数学世界が見えなくなった。さわれそうなくらいはっきりと感じていた数学世界が消えてしまった。そんな20歳頃。
その後は、何物だかわからなくなってしまった数学を模索していく日々が続く。その結果一応答えめいたものは得た。上手く表現できないけれど。とりあえずあの頃は結構辛かった。
ともかく、自分はそんな絶望体験を経ているので、10章の「数学はその正しさすらモデル化しようとした」については、革命的な成功であることは理解しながら、結構恐怖を感じたのである。
面白い本でした。